山田昇・三枝照雄 ― スカイビュートレイルに息づく精神

They Lived for the Himalaya

ヒマラヤに生きた男たち
― スカイビュートレイルに息づく精神 ―

上州武尊山スカイビュートレイルは、群馬が生んだ二人の登山家 山田昇三枝照雄 の挑戦と志を礎に始まりました。
ここでは、スカイビュートレイルが受け継ぐ「高山への敬意」と「挑戦の精神」の原点を紹介します。

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山田 昇(顔写真)

山田 昇

やまだ のぼる|1950–1989(享年39歳)

世界のビッグ・スリー 8000m峰 9座12回 アルパイン・スタイル
三枝 照雄(顔写真)

三枝 照雄

さえぐさ てるお|1958–1989(享年31歳)

群馬のヒマラヤニスト 8000m峰 4座5回 師と共に歩む

 

Why it matters

スカイビュートレイルが「High Mountain Adventure」を名乗る理由

高山は、ただ「標高が高い場所」ではありません。
変わりやすい気象、稜線の風、夜間行動、そして判断力――。
山田昇と三枝照雄が向き合ったのは、まさにこの高山の本質でした。
スカイビュートレイルは、その精神を現代の安全基準と運営力で受け継ぎ、挑戦を「体験価値」として届けます。

高山への敬意 挑戦の精神 安全運営 山岳体験

Noboru Yamada

山田 昇|世界のビッグ・スリーと称された男

人物像

1989年の遭難時点で、8000m峰14座のうち9座12回の登頂を果たし、 当時世界で3番手に位置していました。
酸素や固定ロープに頼らないアルパイン・スタイルにこだわり、 世界屈指の冬季登攀を成功させています。

「高山は、挑む者に“本質”を問う。」

 

プロフィール

  • 氏名:山田 昇(やまだ のぼる)
  • 生年/没年:1950年〜1989年2月(享年39歳)
  • 出身地:群馬県前橋市
  • 所属:群馬県山岳連盟・カモシカ同人

記録と評価

  • 8000m峰9座12回登頂(うち無酸素6回)
  • 世界で2度の「ハットトリック(三座同年登頂)」達成
  • 世界初の「4大峰(エベレスト/K2/カンチェンジュンガ/ローツェ)」完登者
  • メスナー、ククチカと並び「世界のビッグ・スリー」と称される

代表的な登頂記録(8000m峰)

  • 1978 ダウラギリⅠ峰(8167m)南東稜 初登攀
  • 1981 カンチェンジュンガ(8586m)
  • 1983 ローツェ(8516m)/エベレスト(8848m・冬季)
  • 1985 K2(8611m)/エベレスト(8848m)/マナスル(8163m・冬季)
  • 1987 アンナプルナⅠ峰(8091m・冬季南壁 初登攀)
  • 1988 エベレスト縦断/シシャパンマ(8012m)/チョー・オユー(8201m)

最期:1989年、マッキンリー(現デナリ)登山中に遭難。

Teruo Saegusa

三枝 照雄|師と共に歩んだ群馬のヒマラヤニスト

人物像

群馬県沼田市出身。高校時代に見た「群馬岳連ダウラギリ登山の8ミリ映画」から ヒマラヤへの憧れが芽生えました。
アンナプルナ南壁の冬季世界初登攀、エベレスト頂上からの世界初生中継など、 その歩みは常に山田昇と共にありました。

「群馬の山岳人たちの心に、ヒマラヤの青空は生き続ける。」

※演出用短文(削除/差し替え可)

プロフィール

  • 氏名:三枝 照雄(さえぐさ てるお)
  • 生年/没年:1958年〜1989年2月(享年31歳)
  • 出身地:群馬県沼田市
  • 所属:群馬県山岳連盟・カモシカ同人

記録と評価

  • 8000m峰4座5回登頂
  • エベレスト頂上からの世界初生中継成功(テレビ隊)
  • アンナプルナ南壁 世界初登攀メンバー
  • 山田昇の遠征に同行し「最も若いヒマラヤニスト」と称される

ヒマラヤ登山経歴(主な記録)

  • 1983 チョモランマ北壁隊参加(初のヒマラヤ挑戦)
  • 1985 エベレスト登頂(植村直己物語撮影隊)
  • 1987〜88 アンナプルナⅠ峰南壁 冬季世界初登攀(山田隊)
  • 1988 エベレスト 世界初生中継登頂(テレビ隊)
  • 1988 シシャパンマ/チョー・オユー 連続登頂(初ハットトリック)

最期:1989年、山田昇と共にマッキンリーで遭難。

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スカイビュートレイルの歴史を、もう一歩深く

大会がどのように受け継がれ、形を変えながら続いてきたのか。
「原点と歩み」ページでは、大会史としての変遷をまとめています。

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